NGT48の山口真帆暴行事件についての感想

アイドルグループAKBシリーズの新潟版グループ。

「NGT48」

 

そのメンバーの山口真帆(23歳)が被害にあった事件です。

2018年12月某日、帰宅時に玄関先でファン?2名に暴行された強姦未遂だそうで。

 

犯人にはNGTの帰宅時間やスケジュールなど個人情報が流出していたことから、

山口メンバー

「身内に流出させた犯人がいる」と公表した模様。

2019年1月8日です。

本人曰く、運営側の支配人(社長?)が健全な組織内容にしてくれると言っていたのに

1カ月してもなんの動きもない、と。

 

まあ、当然その動画や書き込みはNGT運営側によって削除されましたが。

 

 

 

 

そこで私の感想です。

恐い思いをされた山口さんにはとてもかわいそうに思います。

が、それとともにこの件に関わる全体を総じてめんどくさいなーとも思いました。

 

良かったことは、

・1万人だか何万人だかの「支配人辞職しろ」署名が集まった事

これで辞職するかは図太い神経の秋元グループですからないかもしれません。

けれども、そういった行動をしたというのが表に出て歴史に残るのはいい事だなと

思いました。

 

 

畑は違いますがジャニーズの手越裕也も性関連で色々おもてに出ているわけですが、

解雇とかそういった処分があるわけでもないわけで。

 

 

山口真帆さんに対してネットでは、

ハロプロやスターダストに移った方がいい」とかいう

書き込みがあったりしますが、

 

私は「ハロプロとかスターダストも同じじゃねか?」と思ったり

するわけです。

ハロプロ、いわばモーニング娘ですよね。

つんく安倍なつみに手を出さなかったとでも?

ミニマムな小さい方のこがバーニングの周防に枕をしなかったとでも?

スターダストってもろバーニング系列じゃないか。

 

というのを「日本新政會」のホームページを見ている私は思ったわけです。

日本新政會のサイトは今はなくなっているようですが。

笠岡組長と周防のひともんちゃくの件であったサイトです。

 

 

そういうのもあって、めんどくさい世界だなあと思うわけです。

被害者が出ないわけがないのだから。

 

朝のワイドショー番組というか、お日様が出ている清々しい朝に、

清々しい雰囲気のタレントが出演し、いい気分を提供しているわけですが、

ああいったタレントもタレントイメージであって、

実際は表に出ないいや~な部分も経験しておられて、

かつイメージと実際の中身は違うというのもあるでしょう。

 

だから私は深田恭子とかあひるぐちのあの名前は忘れましたが30歳以上の独身女性でアイスのCMに出ていた方。

あまり好ましく思わないわけです。

 

イメージと実態を想像すると、そこら辺の関係者にはなりたくないなあ、と。

 

うちで育てるならまともな男女を育てたいなあとそう思ったりもします。

 

こういった事って、

問題だと思っているのはテレビを見る視聴者であって、

テレビに映るタレントは口では問題視するんだけれども、

実際はそこまで思っていないような気もします。

例えば、朝のワイドショーの小倉智昭さんを見るとわかりやすいかもしれませんが、

世間の倫理的には問題なんだけれど、ちょくちょく芸能界側のよしなに図ったような

コメントをされるわけです。

 

芸能界の日常茶飯事と考えれば彼のコメントや態度はそりゃそうだなあと思ったりしますが、一般視聴者の感覚で見るとズレているなあと思うわけです。

 

で、その他のテレビ番組でタレントを見ても、

「それはいけないですよね」というのを本気で言っているわけではないよなあと

思ったりするわけです。

空気感や同調圧力というんでしょうか。

視聴者というお客さんの客観があるわけですから。

 

そうすると小倉智昭さんは、周りはまともなコメントを発しようとしているのに、

小倉さんだけ、まあもう仕事がなくなっても十分稼いでいる余裕があるのでしょうか。

長期休載をしている漫画家の富樫さんや、講談社ともめている森川ジョージさんみたいなのか、「十分蓄財してあるから引退しても別にどうでもいーかな」なのか素直に発言されますね。

そこが面白かったりします。

 

 

ま、だから、私は当事者でもないですし、またNGTの、そもそもアイドルのファンではないわけです。

それで、関わり合いがないので肝を冷やしたりしないわけですが、

もし関わっていたとしたら、その直面した場に対してあれこれ考えられるので、

人として成長と言いますか、経験が出来て面白そうですね。

面白そうと言うのは、後になって思い返してみたときに良い経験をしたなあと

そういう意味で。

 

までも、私はまともな男女を育てたいですかねえ。

まともなと言うのは、苦悩と葛藤は成長の為に経験してもいいですが、

あまり悪いこにはなってほしくないなあという意味で。

脳みその認識視野、思考力の密度があればあるほどいいですね。

 

 

 

間組元組長の本です。

 

 

オーディオブックをamazonで無料体験。
1冊目は無料。

 

 

で、ちょこっと自分の作成した動画を掲載。

fpsゲームWORLD OF TANKSの実況動画です。
よかったら見ていってください。

www.youtube.com

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

 

 
 

 

美輪明宏さんに対する懐疑を持った点

以前、美輪明宏さんの本を読んだことがあります。

 

その本は、一般人の質問に美輪さんが答えるQ&A方式の本でした。

そこで「人間関係に苦労していて苦しまないには・・・」という質問だったと思いますが、それに対して美輪さんは「本を読むことです」という回答でした。

 

内容はうろおぼえですが要するに「概念」なり「事前の想像」で「相手を理解したつもりになって」「即席で苦を脱却する」という内容だったと思います。

 

 

これが私とは合わない所です。

 

まず私はその当時既に深見東州率いるワールドメイトに所属していました。

それで、一般会員よりも1000数百円会費が高いエンゼル会員になっていました。

で、エンゼル会員にならないと視聴できないエンゼルビデオという講義ビデオも見ていました。

その50、60本くらいあるエンゼルビデオにも苦しみを超える為の講義がありました。

 

私の記憶では、苦しみをなくすためには苦の中に身を投じなければならないという講義だったと思います。

 

要するに、「苦を超えるには経験的人格的向上が必要である」という事だと思います。

苦しいと言うのは、例えば今現在社会に出ている大人であればひと通り苦労を経験して当たり前になっている事でも、そうではない子供の時では世の中の不条理やなんやらに苦しみを感じるだろうといった事で。

 

その極端な考えて言うと、野球やサッカーといったボール競技なんて厳密に考えれば苦しいと。

ずっと椅子に座っていれば楽なのにわざわざ会社や学校に通勤通学するのも苦しい、と。

ごはんを食べるためにキッチンに行ったり、それこそ自分で作るなんて、厳密に考えれば苦悩と葛藤だらけです。

それを苦労とか苦しみと思わなくなっているのは、ごはんを食べるにはイスから立って部屋を出て、キッチンに行くというわざわざ苦労する行為が当たり前になっているからです。

普段気が付かないですが。

 

これの拡張版が、「苦しみを脱却するには確かに即席の想念転換もあるけれど、その世の中に生きるという事なんじゃないでしょうか」というのがエンゼルビデオの講義の内容だったと思います。

 

美輪さんの回答は、うけ方を変えようという事です。

これはむかし「ありがとう」教のようなものがありました。

なにをされてもありがとうと思う。

例えば、うんこをなげつけられてもありがとうと思う。

そうすると、脳の機能としてはプラスのいいイメージで入ってきますから、

想念状態が悪くならないです。

 

例えば、お金持ちの方に感じのいい人が多いように、悪いイメージが入ってこないような生き方になるかもしれないです。

 

かといって、それで人間が成長するのかという所もありまして、私の場合はエンゼルビデオの「苦しめばいいんじゃないですか」という感じではあります。

(即席でやるのであればもちろん想念転換という方法もありますが)

 

その見解の違いで美輪さんの説法の深さには疑いを持たざるを得ないんです。

 

そもそも、美輪明宏江原啓之の霊界論はなんなのか?

というと、実は深見東州の10大ベストセラー(?)の

「神界からの神通力」や「神霊界」といった所からではないかと思います。

 

 

江原啓之の場合は、他にも色々な所から引っ張ってきているようですが。

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

2018年 秋 今期 見ている アニメ 海外の反応 その2

前回↓

hanatayan.hatenablog.com

からの続きです。

 

海外の反応の前に、
まず私が今期見ているアニメをまとめます。

 

[月曜日]
転生したらスライムだった件
宇宙戦艦ティラミス
おとなの防具屋さん

 

[火曜日]
CONCEPTION

 

[水曜日]
俺の好きなのは妹だけど妹じゃない
刻越えのデリダ
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の
ベルゼバブ嬢のお気に召すまま

 

[木曜日]
メルクストーリア 無気力少年と
BANANA FISH
BAKUMATU

 

[金曜日]
とある魔術の禁書目録
うちのメイドがウザすぎる!

 

[土曜日]
ソードアート・オンライン アリシゼーション
ゴブリンスレイヤー

 

[日曜日]

ユリシーズ ジャンヌダルクと錬金の騎士
ガイコツ書店員 本田さん
ひもてはうす
終電後 カプセルホテル

 

 

 

それで、海外のランキングです。

1週目

f:id:hanatayan:20181114080208j:plain

 

2週目

f:id:hanatayan:20181114080111j:plain

 

3週目

f:id:hanatayan:20181114080023j:plain

 

4週目

f:id:hanatayan:20181114075908p:plain

 

5週目

f:id:hanatayan:20181114075704j:plain

 

世界全体のランキング

[ユーロ圏]

f:id:hanatayan:20181114080903j:plain

[カナダ]

f:id:hanatayan:20181114080933j:plain

[米国]

f:id:hanatayan:20181114081002j:plain

 

[南米]

f:id:hanatayan:20181114081041p:plain

 

[オーストラリア]

f:id:hanatayan:20181114081059p:plain

 

 

ゴブリンスレイヤー、バニーガール先輩、転スラ、禁書目録Ⅲがランク上位にあるので私が見ているアニメの感性も普通かなと思いました。

あとは、うざメイドとベルゼバブ嬢がランク15位以内にあってもいいのかなあと思いました。

 

 

 ま、で自分が作った動画をちょこっと。

www.youtube.com

2018年 秋 今期 見ている アニメ 海外の反応

という事で、まずアニメの前提情報として、

いまどき面白くないアニメはほぼほぼないと私は思っています。

 

というのは、クリエイターのクオリティが高いのか、

はたまたシーンが流れていく動画だからなのか、

ぼーっとしてざっと見ていることに耐えられないものは無いだろうと思っています。

 

しかしこれとは逆に、自分でページを読み進めなければならない漫画。

これは少年時代の記憶から思い起こすと読み続けられない漫画がいくつかあります。

 

月刊コミックドラゴンジュニア(角川書店)のクロノクルセイドとか。

f:id:hanatayan:20181114054727j:plain

 

↑おすすめしないですがとりあえず載せておきます。

読むとがっかりすると思います。

 

同じくコミックドラゴンジュニアの奥田ひとしの天地無用とか。

f:id:hanatayan:20181114055033j:plain

 

読むに耐えがたいものがあります。

しかし、2点ほど補足を付け加えるのであれば、

1995年にテレビ放送の天地無用は面白かったです。

どう面白かったかというと、テレビ東京で日曜日の夕方に

ちびまる子ちゃんサザエさんの裏番組でやっていたからです。

 

今の感覚で言うと、

日曜日に笑点が終わって、その後にちびまる子ちゃんサザエさんを見るか?

それとも転生したらスライムだった件を見るか?

の違いくらいの感覚です。

 

なので、あの日曜日夕方の枠に天地無用を持ってきたのはすごく正解だと思います。

しかし、それでもってじゃあ原作の漫画を読もうなんて考えると、

一気に期待を裏切られました。

という少年時代のお話です。

 

↑天地無用テレビ版 懐かしいです。

ドラゴンジュニアに載っていた天地無用のコミックスは、

ざっと見て見つけられなかったのですが、

まあがっかりするので見ないでもいいです。

ただし、上のアニメ版は参考に見るといいかもしれないです。

笑点ちびまる子ちゃんしかなかった時代に裏番組でこれがあったという事の比較で。 

 

もう一点は、角川書店の漫画は当時ビジュアル系だったと思うのですが、

はいぱーぽりすMEEくんがいたのが私としてはよかったです。

 

MEE(みーくん)というと、竹書房ワニブックスから

「燃えよ鉄人」「小鉄の大冒険」などを出していた漫画家です。

それが角川書店では「はいぱーぽりす」を描いていました。

 

f:id:hanatayan:20181114060758j:plain

f:id:hanatayan:20181114060808j:plain

f:id:hanatayan:20181114060813j:plain

 

でもたぶん現在これらをいまどきの方が読むと耐え難いものがあると思うのであしからず。

そう考えると、今のアニメや漫画は進化しているのかとも思ったりします。

 

 

あかほりさとるとか、スレイヤーズがもてはやされていた時代です。

現代のアニメや漫画に慣れると考えられないです。

 

あれらは、昭和時代の漫画と現代をつなぐ連続性の中間な意味があった時代の

踏み台だと私は考えています。

 

例えば大運動会(バトルアスリーテス)

www.youtube.com

テレビ東京 金曜日夕方6:30放送 1997年~1998年

 

OVA版・テレビ版がセットになったものです。

現代の目で見るとくちがあんぐり開いて数話も見れないですが、

日本昔話やサザエさんぐらいしかなかった時代です。

それを想像しながら見ると角川書店メディアワークスの当時の貢献が

分かるような気がします。

 

今見るとアニメ版であってもそんなに面白くないのですが、

昭和の少年マガジンや少年ジャンプにはないヴィジュアルとアイデアの作品です。

 

久々に大運動会を見たら、数話も見ていられなかったです。

少年時代のよかったという記憶と今見た時の差がとてもあります。

 

しかし、こういったものが長い歴史の中間材としてあるから現代のアニメがあると思えば、バトルアスリーテス様様だとは思います。

 

ということで長く書き過ぎたので続きは次回に。

宗教の本質

前回の記事であまりにも宗教をバカにした書き込みをしたのではないかと思い、

少々補正をします。

 

前回の記事

hanatayan.hatenablog.com

 

 

 

宗教には色々な内容が含まれていると思いますが、

大きく分けるとスピリチュアルと教えの2つで出来ていると私は考えています。

 

スピリチュアルの側面は私はよくわからないので割愛します。

 

教えの面は、これは人間が今まで何千年と培ってきた文化・哲学の積み重ねです。

これがバカにするようなものではないものだと思います。

 

例えば、今現在無宗教の方で「へへーん。宗教なんてバカげてるぜー」と

いう方がいたら、それは宗教が存在しているから言えるのであります。

もし宗教が存在していない場合、1から作ってみそ~、と言っても無理です。

 

それで、じゃあ「宗教をぶっ壊して1から新人類を作って見せるぜー」とした場合、

要するに焚書したとします。

 

もしそうなったら、私はバカな事をするなあと思ってしまいます。

キリスト教の信者が誰もいなくなり、公営の図書館の隅に聖書が置かれている。

普段は誰も読まない。

1年間でそれを借りる方は1人か2人。

 

つまり、人類の築き上げてきた文化がその程度になってしまうと考えたとき。

 

これは、東日本大震災の時に原発を熟知した技術者がいないといった時と同じ感じになります。

文化や技術は使われなくなるとなくなってしまうのか、と。

 

それによって消えていった文化や技術は今までどれくらいあっただろうか。

もしくはこれからどれだけあるだろうか、と。

 

人間というせいぜい150年しか生きられない生物では、それこそアンドロイド化しないと、限られた時間の中では要るもの要らないものの取捨選択をせまられる。

 

それはかえって人の思考視野をせばめることにつながると私は危惧しています。

 

まさに原発を作れる者がいない、といった状況とか。

 

 

そこで、宗教哲学が必要なくなった日、というのは良いようでも実は良くないです。

密度が詰まっていないからです。

出来る事なら、人類の文明度が上がり情報のデータバック保存が出来るようになるまでは、各宗派の方が大事にとっておいて欲しいと個人的には思います。

 

激動の時代を生きたデータと文化、文明。

それがまったくないと、中身カッスカスになってしまいます。

 

[宗教が要らない平和な世界]

今現在の宗教信者が掲げている大願目、すべてが平和で良くて素晴らしい未来社会。

 

言い方を変えると、フラストレーションもなく残業もない、

何事をするにもストレスのない世界。

 

そんな世界を高級霊が望んでいるという新興宗教

 

想像するだけでポカーンな感じです。

そんな世界が来るのであれば、データを残しておかなければならないと思ってしまいます。

人類が培ってきた緻密さと高度な側面が消えてしまう。

 

おそらく、そのような人類におかかりする霊と言うのは、ぱっぱらぱーなはずだと思います。

 

ある種の卓越した文化が消えてしまう。

頭の悪い世界です。

人類の救済

というものを考えた時期も私にもありました。

17歳~20代前半の頃です。

今は考え方を改めております。

 

それで、新宗教ワールドメイトに所属した事もあります。

ワールドメイト - Wikipedia

 

宗教歴でいうと、

創価学会(日蓮正宗の信徒団体)→法華講(創価学会が破門扱いになったので)

ワールドメイト(20歳になり初めて自分で選んだ宗教)

といった流れです。

現在は宗教にまったく所属していません。

 

 

つまり、救済の定義が問題でして、

「モーラルのない民衆に最低限のモーラルを持ってもらう」ということが

救済の定義であれば幼少時からキリスト教イスラム教やユダヤ教を教えていれば達成されると私は思っています。

たぶんこれは大概の宗教であれば大丈夫だと思います。

 

倫理観や人間性の到達点、なんてものは

例えば各宗教では「デーモナイズされるのが私どもの宗派では最高目的です」

などと主張している所はないと思いますので。

 

 

 

ということで、「人類救済」の問題はその定義にあります。

私が人類救済を目的に掲げた少年時代、なぜそうしたかというと

「おかげ信仰」です。

 

例えば、子供時代に神様がいると信仰心をもっていたとします。

それで、夜、外は大雨で雷までボンボン鳴りだしているとします。

そうすると、自分の家に雷が落ちないように、

もしくは帰宅が遅い親の帰りが無事であるように、

必死で神に祈ると思います。

それぐらい幼少時の雷は恐いわけですが。

それの拡張版が私の人類救済の願目のきっかけでした。

 

原初宗教のきっかけもそういったものだと言われています。

例えば、ナウマンゾウやなんやら狩りにいった夫や子供たちが無事に帰ってこれるように帰りを待つ女性が祈っていたとか何とか。

 

 

それで、人類救済の件ですが、今現在私は全く考えていません。

 

定義がいくつかあり、また達成が難しいからです。

 

 

 

[人類救済を目指している宗教者にそげぶーーーー!!]

「そげぶ」というのは、アニメ とある魔術の禁書目録の主人公の定番セリフです。

意味は「その幻想をぶち壊してやる」です。

 

宗教というのは、教えを広めていきます。

これが一番の問題で、教えを受ける受け手側には千差万別いらっしゃいます。

それで、端的に言うと「文字や言葉、教えだけ聞いて自己陶冶がされるのか」

「されるわけがない」です。

 

ある東京大学での講演で、脳科学者の茂木先生が

「お前ら本を読め」「本を読んで追体験をしろ」というのがありました。

 

本を読んで追体験する事で得られる効果は私は完全には否定しません。

ないよりはあった方がいいからです。

しかし、一番いいのは実体験でその場にいて、リアルにフィードバックを受け、

現実に自己の認識視野の肥やしになる、というのが読書による追体験よりも素晴らしいのは言うまでもないわけですが言ってしまいました。

 

それでも、日々ルーティンな生活を送っているようであれば、読書による追体験は視野を広げるのにとても大切だとは思っています。

 

もちろん、本には追体験をする人生譚や啓発本と、ハウツー本や教科書などの本と分ける必要があると思うので、この場合の「追体験をしろ」と言われているのは

ワタミ渡辺美樹を描いた小説「青年社長」みたいなものでしょうか。

 

「ネコでも解る行列計算」とかはハウツーです。

 

で、要するにこの茂木先生の「追体験しろー」が、「教えをもとに展開している宗教」と同じではないかと思います。

 

 

 

結論で言うと私は「教えを説いて救済すること」に限界があると思っています。

言い方を変えると「日常生活を生きること」が大事だと思っています。

 

また言い方を変えると、

「変な上司、バカな部下を持って生きる」方が、

宗教の教えを聞いているだけの方よりも尊いといいますか。

 

教えはあくまで追体験、もしくは概念を言葉で教えていまして、

それに比べてリアル現実社会で生きていると、

言うに言えず説くに説けない経験をし、それが人格なり視野を広げてくれるわけです。

 

 

[宗教の効果を否定してはいない]

宗教の効果については色々とあると思いますが、その中でも重要なのは

倫理観の軸であること。

 

ある方面では、メディアの見方によって「イスラム教は自爆テロをするを酷い宗教だ」と批判する方もいると思いますが、おそらくあれは過激な派であり本来は中東民族のモーラルにあった形であると思っています。

 

例えば、ユダヤ教の「豚を食べてはいけない」「帰ったら手を洗う」などというのは

衛生上大事な事で、日本では雑菌だらけの豚を衛生的に処理し食すので、豚だろうが生卵だろうが食べています。

 

[宗教がなくなるとどうなるか?]

つまり、モーラル教育がなくなるとどうなるかと同じ定義です。

あとは、文化が一部欠けるとどうなるかという問題でもあります。

 

文化の問題と言うのは、例えば現在の中国がそれです。

昔、毛沢東が中国の文化性を1から形成しようと実践して出来た現在ですね。

過去の文明文化を一切排していますから、ディグニティ、アイデンティティを創出しなければならない。

韓国も同じですね。

 

新人類。

 

過去の積み重ねは結構大事なもので、まったくの1から自分や国民のバックグラウンドを形成するってとても大変だと思います。

そう考えると日本は恵まれた方だなあと思いますが。

 

まったく過去の文化の影響を受けていないと思っていても、実際は自覚のない所で影響を受けていると思います。

 

で、最近中国でバスが転落して乗っていた14名全員が死亡しました。

高くて長い橋の上です。

乗客の女性と運転手が殴り合いになって、運転手が左にハンドルを切りすぎて

高い橋から落ちました。

 

これを毛沢東の「文化大革命をして1から創出だ」のせいとは言い切れないと思いますが、宗教という文化性、倫理観のバックグラウンドがなくなるとどうなるかなあとひやひやします。

 

それで、「無宗教でいい」「宗教なんてぶっ壊せ」「新しく倫理観のスタンダードを作ろう」なんて考えている無宗教者に対しては、

私はそんなにうまくいくもんでもないだろうと思っています。

第二、第三の毛沢東になるつもりですか?と。

 

いや、実の所は人間の1生涯でまったくの1からそこまで作るなんて、

想像するのがめんどうくさいです。

特に、普段なにも人生経験もなく、パソコン画面を見て、片手にジュースを飲みながらそんなことを考えている方にはまず出来ないだろうなあとも思っているわけです。

最低でも、日蓮上人みたいに刀杖で殺されるかどうかという大悟を7度8度、

その他に日常生活でこまごまとした喜怒哀楽を枚挙にいとまなく経験しないと、

毛沢東、もしくは中国みたいになってしまうんではないですか、と思います。

 

 いや、それよりも不必要でない文化を壊すというのがやっぱり人の情緒や豊かさに於いて、良くないのではないかと思います。

今残っている文化は、現代の人間や未来の人間には創出する事は出来ないものだと思います。

未来人に対して「仏教作ってよ」「キリスト教作ってよ」と言っても無理だと思います。

タイムマシンがあって過去を見たり聴いたり出来るのであれば作れると思いますが、

まったく1から作れと言われても「発想」の時点で無理だと思います。

似たようなものは作れるかもしれないですが、外観が似ている付け焼刃になると思います。

 

なので、毛沢東文化大革命がもうもったいなくてもったいなくて、

ただし他の国では出来ないと思うので、ある種の新しい人類を構築する実験場としては

たしかに中国は適任なのかなあと思います。

まあ、これからですね。

 

[人類の救済 本題]

で、私は人類の救済をしようと思っていません。

これは救済の定義が持てなくなっているからです。

 

例えば、「巨大な隕石が地球に接近していて人類絶滅の危機だ」とした場合、

人類救済をするのはNASAとか宇宙の専門家、科学者とかそこら辺の労働に従事している方です。

 

パンデミックインフルエンザで人類滅亡の危機だ」となった時のメシア救世主は、

医療関係者です。

 

新興宗教や新々宗教は、教祖が存命中もしくは教祖が亡くなってから日が経たない宗教です。

ですので、キリスト教や仏教など何千年も続いている所とは違い、

今現在目前の危機感とそれに対して我々信者は存在しているという存在意義・目的があるわけです。

そこに「人類の救済」という抽象的で大きな願目を掲げるわけですが。

 

例えばこれ。

教えを広めるのが人類救済とした場合。

無理

むりぽ~ん。味ぽ~ん。

みたいな感じです。

 

教えを聞いてわかったようなつもりになるような時間があるのであれば、

プラスアルファで人間社会で苦悩と葛藤と喜びと楽しさを味わうべきですね。

 

もう私がなにが嫌かというと、メシアの影響を受ける所です。

例えば、メシアが「わしはなんとかかんとかじゃ」というふうに、

ことあるごとに「わしは~」「わしは~」と言っていると、

信者も「わしは~」と言い出す所です。

例えば女性なのに。関西人でもないのにです。

 

関東人で女性が、「わしは~」なんて普通言わないでしょう。

 

もちろん男性でもあります。

 

お前の「わしは~」は、あなたの人生経験で培って獲得した

「わしは~」なのか?

そう問いたいです。

 

これは極端に言っていますが、要するに細木和子がテレビで流行りだすとそれをキャプチャーモーションしたような方がゴロゴロ出てくる。

ようなものです。

 

なので、幸福の科学の信者は大川隆法のビデオなり本をたくさん見させられているでしょうから、大川のキャプチャーモーションか?と思うような方がたくさんいらっしゃると思います。

 

「お前らそんなことしている暇があるなら、日常生活に励んだ方がいいんじゃないかい」

と思ってしまいます。

だいたい教え10個を聞くよりも日常生活1個を経験する方が素晴らしくなると思います。

 

[そこが重要点だった]

私が人類救済という目的を持たなくなった理由はそこにあります。

救済の定義がもし教えを広める事であれば、文字や言葉による教えを広めるなんて

私にはとうてい考えられないからです。

もちろん、茂木教授のいうような読書による追体験ではなく、ハウツー本などによる教えは有効だと思います。

もちろん追体験もないよりはあった方が断然いいと思います。

 

ただ、宗教組織と言う維持費や経費のかかるがゆえにお金が必要なので頭数がいる大規模組織で、そんな大勢の方に文字や言葉で教えを広めるなんて、私にはとても考えられません。

 

そんなことをするぐらいでしたら、「日常生活が大事ですよ」と教えを広めるかもしれないですが、そんなバカなことはしないです。

日常生活が大事だと言う教えを金科玉条の如く振りかざして、

教祖や開祖のいすに座っている。

そんな頭の悪い姿の者にはなりたくないです。

 

 とは言っても、茂木教授のいう読書による追体験は完全に否定はしていません。

というのは、今は亡き昔の偉人に関しては、文書面でしか辿ることができないからです。

その流れで、今生きる方も文書や映像で見るしかない場合もあります。

そうした時の理解と言うものは自分が持っている視野の分しか理解できないわけですが、それでも見ない読まないよりは見たり読んだりした方がいいと私は思います。

 

なので、追体験はあくまで補完的であるという事です。

まったく無効かというわけではありません。

 

また、昔は海外で「私は無宗教です」というと白い目で見られたそうですが、

宗教哲学というのは何千年もかけて醸造されているわけですから、

1人の人間が40代50代まで生きるよりもおそらく哲学が詰まっていると思われます。

まして、生き馬の目を抜くようなビジネスの社会でまったく宗教心なく成り上がってきた場合、自己の哲学はまさに自分の生きてきた人生なわけですから、

そういった時に「無宗教です」というと白い目で見られたわけでしょう。

 

「こいつ大丈夫か?」

と。

 

それで、年をとってから孔子菜根譚などを読むと、

ある人はああそうだなあと思う所があるのでしょう。

 

でまあ、人類救済なんて考えていないわけです。

定義を持てないからです。

 なんやかんや救済の定義を持ち出してもですね、

例えば人類に隕石が落ちる絶体絶命を救うために祈るんだ、と

人類救済の目的をひねりだしても、

それがメシアの目的ぃ?

と思うわけです。

もしそれが本当であれば、それはそれでとても大事な事だとは思います。

 

エイリアンから人類を守るためにとかいう某宗教のO川さんのそれも、

ほんとにぃ?

と思いますが、本当であればとても大事な事だと思います。

それが人類救済と存在意義だそうですので。

 

つまり、人類救済というテーマは、

とてもスケールが広く、崇高で、また誰も反対はしないと思いますが、

そのかしにとっても抽象的で定義があいまいなわけです。

いざ定義を明確にすると、「ん?」とか「おや?」と思う所がちらほら出てくると思います。

 

 

とここまで宗教をやや否定するような書き込みになってしまっているかもしれないですが、まったく否定しているものでもないです。

なぜなら、私自身が日蓮正宗ワールドメイトと言った宗教、または神道など影響を受けて今の私があります。

「俺、無宗教だからー。へっへー」「宗教なんてなくしてしまえー」

などという向きではないです。

むしろ、宗教に入っていないで、つまりまったくの1から自己の哲学を形成した方たちは、大丈夫かなあと思う次第です。

つまり、過去をすべて否定し、もしくは消した場合、

1から自分の行動力だけで自己を構築するって、結構大変な事です。

文化大破壊革命の後と同じ事です。

 

それこそ、社会の第1線で大きなこと小さなことを経験しないと育まれないと思っていまして、これは宗教に入っているいないに関わらない事ではありますが。

 

なので、人間が構築してきた文化の一端として、宗教を否定するものでもないとも思っています。

「悪魔に身を捧げよ」なんていう教えはないわけですし、むしろ逆の事をおしえているわけですし。

バーチャルユーチューバー Vtuber 興味はあったけど・・・

そもそも私がバーチャルユーチューバーを知ったきっかけは、
の和田憲治さんがやっているYouTube番組「StandardJournal 1」で紹介されていたからです。

 

その動画はこちら↓

www.youtube.com

 

その後、職場の仕事仲間にそういったのを好きそうな方がいたので聞いてみたりして、

「僕はシロちゃんが好き」

といった話を聞いたりして

「へえー、そんなのもいるんだ」

と思ったものです。


で、私自身もゲームのゆっくり実況なども作るものですから、

ゲームには抵抗はないです。

例えば、abuチャンネルやレトルトさんのチャンネルもよく見ていますし、

イクラの28(ふたば)さんのチャンネルも見ていたりします。

というか、そもそもは「ワールドオブタンクス」というゲームをプレイ実況している

aramondさんやT1STYLEさんをずっと見ていたわけでして、前述のお三方はここ何カ月前から見始めました。

 

また深夜アニメも見ていますので、日本のサブカルには抵抗はないわけです。

 

で、件のバーチャルユーチューバーを見ていました。

ところが、私の予想していなかった事実が発覚しました。

 

おおよそのバーチャルユーチューバーは企業が制作に絡んでいます。
それで、こう、ニッチではない所がというか、

「企業が金出してるのかよ」

とか

「プロが製作に関わっているのか」

とか

 

 

それで興味がなくなりました。

 

キスナアイ

企業が絡んでいます。

ミライアカリproject

企業が絡んでいます。

その他もろもろ、私がネットで情報を追った限りでは、

まず間違いなく企業が作っているなり絡んでいます。

 

私の求めていたのは、

それこそ企業が絡んでいない素人ユーチューバーがゲーム実況を制作していたり、

こう、プロの匂いのしない、面白さがあったわけです。

 

しかし、企業が絡んでいるとなれば、

使える資金も桁が違いますし、

利益を稼ぐために本気を出してやっているわけですし、

なんなら技術者だろうが、ハワイオワフ島の州知事だろうが、

アーノルドシュワルツネガーだろうが、

集められるわけです。

 

 

なので、最近話題になっている「キズナアイNHKに出て炎上した」だとかいうのも、

「あんなもん、金と、人脈がありゃあ作れるだろうそら」

と思う次第であるのです。

 

「女優なんて金があれば抱ける」

これが私の持論でして、

「君たちがオリンピックに行けるのは私が金を出しているからだ」

が私の持論であります。

もちろん私がオリンピック選手にお金を出しているわけではなく、

要するに世の中資本主義と言いますか、プロボーラーも西武という企業がお金を出して

プロ稼業をやっておられたと言いますか。

 

私はそれを反面教師と捉えて、そうではありたくないなあと思うのですが。

 

 

話しは逸れましたが、企業が絡んでいるのであれば、

キズナアイNHKに出ようが、フランスの大統領に会おうが、

月へ旅行に行こうが、「当たり前」の事で、

興味をそそられないです。

 

仮にアニメ化されようが、「そら当たり前」の話です。

 

私がYouTubeで見たかったそれは、プロの技術や資本ではなく、

その製作者そのものの味だったのかもしれないですね。

もしくは、同人サークル的なもの。

 

だって、企業が作っていたら、もしくは参加していたら、

なんでもありですよ。

それこそ本当に、誰とでも共演できるし、月へ行く事も出来てしまう。

クオリティが高くて当たり前。

なんの魅力も感じないです。

 

ページ先頭のStandard Journal 1の動画を見ると、

ショールームという会社が3000万円集めて作ったという話も出ますし、

 

ショールームとは別件ですが、もちろんミライアカリプロジェクトの中の人にとっては
VTuberに関われることは色々経験できる事はよかったですねと思います。

エイレーンと萌美の作者ですね。

 

なんともかんとも言えない気持ちでおります。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村