読書と情報収集について

読書と情報収集について。

 

ネットで情報収集するのと、本を読んで情報収集するのでは、 

脳にいい情報収集法は読書がいいそうです。

 

とこんなことを書くと、後日「読書が脳にいいらしいよ」などと又聞きで聞きかじった浅い淡白な概念を言いふらさせそうなので忘れて下さい。

 

www.youtube.com

 

例えばこれを見ると、私が「脳にいい情報収集法は読書がいいそうです。」というのだけをまに受けると、これは”情報収集”、”読書”、”良い”、という語彙(言葉の意味)は皆さん人それぞれの人生経験によって若干ニュアンスが違いますから、

 

人によっては

「当たり前だろう」

「そうだよね」

「わかっているよ」

「バカだなあ」

と発する感情はそれぞれにあると思います。

 

しかし、考えてみれば弘法大師空海は留学僧として中国に渡り半年で密教のマスタークラスの印可を貰いました。

既存の何千人もの弟子を差し置いて、日本から来た留学僧が半年で印可を貰うというのは、実際はそれまで日本国内に於いて、仏教だけではなく古神道の呪術的要素や様々なものを経験してきたのでしょう。

つまり、30歳になってからポソッと急に現れたおぼっちゃんじゃない事になります。

がそれは話がそれますので、ともかく下地があってこそ、いざ情報に触れた時に、たとえネットの短くまとめたような情報であっても、パッと発想が出てくる。

そういったことを上の動画では言って・・・いません。

 

また、思うに本を読むというのは、わざわざ好き好んでか興味があってか、上司に読めと言われてか、そうした”動機”があって読みます。

この動機があって、その本をわざわざ読もうとする。

その行動自体が、「本を読むという行為をパッケージ化」した時の”効果”が既に6割~8割は達成されていると言っても過言ではないと思います。

最終的にその本を完読し、100%達成だと思います。

例えば、思想哲学的な本で言うなら、中国の古典の菜根譚など、「お前さん、それは20代で読むような本じゃないよ」と。

「読んでもわからないよ」と言うのです。

もしくは、孔子などを小学生に読ませても、それは仮に道徳教育の一環にはなりますが、獲得知、プラクティカルナレッジとしてはわからないよといわれるかもしれませんね。

その点で、年配になってから孔子を読むと、一部では共感するところがあり、また一部では違うよと。

 

そこで、ただネットの簡易情報を読むだけの行為は、簡易な知識の積み重ねにはなっても、深く知ることが出来ないと、そういっているわけですが。

 

本を読むというのは、ハウツーと追体験の2種類あります。

例えば、追体験であれば”青年社長 上下巻”は、居酒屋チェーンのワタミの創業者である渡邉美樹のノンフィクションを小説仕立てで描いた本ですが、これは典型的な追体験の本ですね。

それでも、読まないよりは読んだ方が世界観は広がりますが、あれは読んでもイメージ上の追体験であり、実体験ではなく、確かに言語を読むとFOXP2遺伝子によって意味とかイメージに変換され、大脳の前頭部でA10神経を介して言語から空想の中で行動しているようなリアリティを湧きおこらせるものです。

これを追体験、言語からイメージし、人間の場合は想像する前頭前野に脳幹から運動神経であるA10神経脳が伸びてつながっていますから、追体験ができるわけですが。

 

チンパンジーにも言語処理が出来るFOXP2遺伝子があります。

ニホンザルにはないです。

A10神経も大脳まで伸びていないです。

 

話しはそれましたが、なんでも便利になった社会に於いて、AI技術も進化すれば、いずれ自宅の部屋の中ですべてが完結してしまえるような社会に於いて、旅行に行くとか食事に行くとか言う快楽行為にだけは体を動かして部屋から出るけれども、それ以外はすべて部屋の中で完結する、しかもイスに座った状態でも可能であると。

そうすると、体験はないけれども、身体を動かして情報を収集しに行くという行動がなくても、追体験で行為を完結できるわけです。

ここに、思考回路の衰えが出てくるのではないでしょうか。