宗教の本質

前回の記事であまりにも宗教をバカにした書き込みをしたのではないかと思い、

少々補正をします。

 

前回の記事

hanatayan.hatenablog.com

 

 

 

宗教には色々な内容が含まれていると思いますが、

大きく分けるとスピリチュアルと教えの2つで出来ていると私は考えています。

 

スピリチュアルの側面は私はよくわからないので割愛します。

 

教えの面は、これは人間が今まで何千年と培ってきた文化・哲学の積み重ねです。

これがバカにするようなものではないものだと思います。

 

例えば、今現在無宗教の方で「へへーん。宗教なんてバカげてるぜー」と

いう方がいたら、それは宗教が存在しているから言えるのであります。

もし宗教が存在していない場合、1から作ってみそ~、と言っても無理です。

 

それで、じゃあ「宗教をぶっ壊して1から新人類を作って見せるぜー」とした場合、

要するに焚書したとします。

 

もしそうなったら、私はバカな事をするなあと思ってしまいます。

キリスト教の信者が誰もいなくなり、公営の図書館の隅に聖書が置かれている。

普段は誰も読まない。

1年間でそれを借りる方は1人か2人。

 

つまり、人類の築き上げてきた文化がその程度になってしまうと考えたとき。

 

これは、東日本大震災の時に原発を熟知した技術者がいないといった時と同じ感じになります。

文化や技術は使われなくなるとなくなってしまうのか、と。

 

それによって消えていった文化や技術は今までどれくらいあっただろうか。

もしくはこれからどれだけあるだろうか、と。

 

人間というせいぜい150年しか生きられない生物では、それこそアンドロイド化しないと、限られた時間の中では要るもの要らないものの取捨選択をせまられる。

 

それはかえって人の思考視野をせばめることにつながると私は危惧しています。

 

まさに原発を作れる者がいない、といった状況とか。

 

 

そこで、宗教哲学が必要なくなった日、というのは良いようでも実は良くないです。

密度が詰まっていないからです。

出来る事なら、人類の文明度が上がり情報のデータバック保存が出来るようになるまでは、各宗派の方が大事にとっておいて欲しいと個人的には思います。

 

激動の時代を生きたデータと文化、文明。

それがまったくないと、中身カッスカスになってしまいます。

 

[宗教が要らない平和な世界]

今現在の宗教信者が掲げている大願目、すべてが平和で良くて素晴らしい未来社会。

 

言い方を変えると、フラストレーションもなく残業もない、

何事をするにもストレスのない世界。

 

そんな世界を高級霊が望んでいるという新興宗教

 

想像するだけでポカーンな感じです。

そんな世界が来るのであれば、データを残しておかなければならないと思ってしまいます。

人類が培ってきた緻密さと高度な側面が消えてしまう。

 

おそらく、そのような人類におかかりする霊と言うのは、ぱっぱらぱーなはずだと思います。

 

ある種の卓越した文化が消えてしまう。

頭の悪い世界です。