人間観察が趣味です。

と言う人をよく見聞きする事が、
何年か前から多くなりました。

 

例に挙げると、

・モバゲーのプロフィール欄

・出会う人

・アニメ『かぐや様は告らせたい』のヒロイン役の声優

などです。

 

あとは、テレビ番組の街角取材で
新宿アルタ前の植木を囲う石積みというかレンガと言うか、
あれに座っている女の子に取材した時に

「なにをやっているの?」

と聞かれて

「人間観察をしています」

と返答したフリーターなども記憶にあります。

 

 

しかし、私が思う本来の人間観察というのは、
そういった客観的観測ではなく、
主体的観測だと思います。

 

例えば、舞台役者であり俳優の尾形イッセイが言っていた
人間観察が妥当ではないかと思うわけです。

 

 

尾形イッセイの人間観察論は、
わざわざ新宿のアルタ前で通行人を観察するのではなく、
過去、自身が会ってきた人たちを思い出して、
それを役に取り入れているというものです。

つまり、観察者自身もその環境に身を置いて、
ややもするとその観察対象と共同作業をしながら
相手とその全体の環境や時節、事がらをインプットする。

これが彼の観察だと思います。

 

譬えを変えると、大灯国師などがそうかもしれないです。

高僧でありながら、ボロボロの服を着て橋の下で乞食の生活をする。
これが大灯国師流の、言い換えると人間観察だと思われます。

ただ、大灯国師の場合は人間を中心に観測していたわけではないと
思うのですが。

 

尾形イッセイの人間観察論に於いて、
セットにしたい話があります。

それは、芸人の千原ジュニアと三俣又三の新幹線での話です。

千原さんの芸人としてのアンテナでは、とても特徴的で面白い一般人と出会ったそうです。
芸人としては、そういったリアルでの場は逃すべきではないネタ収集の機会なんだけれども、三俣さんは淡々と話を進めてしまう。

そこでわかるのは、芸人さんは常にその方向でリアル社会にアンテナを張っているということでしょうか。

 

結論として、つまりなにが言いたいかと言うと、

以前私の知人に作家になりたい大学生がいて、
その子は講談社はブラックだから就職したくないとか言って、
パチンコ屋に就職するかと思いきや、新卒歓迎会に行って合わないなあと辞めて、
結局今はニートになったわけです。

 

それを見て思うのは、
君の好きなライトノベル「GATE(ゲート)自衛隊のなんちゃら」の作者は、
実際に自衛隊員を経験した後、そのGATE自衛隊なんちゃらというラノベを書いたんだよなあと。

もし、東京のブラックなパチンコ屋に勤めながらラノベなり漫画を描いていたら、
もしかしらカイジを超える賭博漫画を描けていたんじゃないか?

 

と、そう思ったわけです。

 

千原&三俣の話や、小堺&関根の話や明石家さんまの話を聴くと、
リアル社会に於いて普段からネタに対するアンテナなり"興味"を持っていると思います。

それはそれで芸人さんだからだと思うのですが、
人間観察に於いて弊害になるの事があります。

それは、現象、表象を笑い目線でしかインプットできなくなるという事です。

もしかすると、本当は違う角度で受け取れたかもしれないという事でもあります。

 

例えば、世の中は変わったもので、「ありがとう教」というものがあります。

私の知人の青年実業家も常にフェイスブックでは「ありがとうございます」とか、
周囲に対してプラスの言葉を発していますが、まあそれは置いておいて、

なにをされてもありがとうと思うのがありがとう教であります。
これは自然発生的な文化的ミームの事ではなく、
実際に教祖のような主体者がいて広めている術(すべ)です。

ネットで検索すると見つかるかもしれないですが、
これの欠点は

脳機能学的にいうと、「なんでもプラスイメージで入れて精神の健全性を保つ」
と言う所にあります。

それが、あまりにも自然ではないし、人格や認識視野の成長に於いて
悪影響になる。
と思います。

 

これを私なりに言うと、
大灯国師は、橋の下で浮浪者の生活をしている時に、
「私は浮浪者になりきるんだ」と意識しながら生きていたのか?

と言う事です。

 

「私は浮浪者を経験するんだ」

つまり、

「私は人間観測をするんだ」

と意識しながら、
(そもそも一般に言われる人間観察はアルタ前で座って見ているような主体観測ではないものですが)

 

大灯国師は、不空でいたと思います。
「空(くう)になりきっているんだ」というのは、まだ空、不空の意識を持っているので、

いわばありがとう教のように、うんこを投げつけられてもありがとうと思い、
幸福なイメージで脳の海馬にプリンティングさせる。
大脳に転写する際の長期記憶もそうだから常に幸福である。
これが、人間観察になるのか?

私はそう思わないわけです。

 

とは言っても、ビジネスに興味がある人は、
放っておいても日常の生活や出会いにビジネスのアンテナ(興味)を張っているし、
芸人さんだって誰がお勧めしなくても、逆に止めなくても、日常にそのアンテナを張っているものだと思います。

 

最終的になにが言いたいかと言えば、
人として生きている都合上、確かに無機物との物との触れ合いと言った
テクニカルアーキテクチャ、テクニカルナレッジもあるんだけれども、
人間関係が作る社会環境で発生するプラクティカルナレッジもあると思うのである。

 

これを単純化すれば、地道に人生を生きるという事ではないだろうか。

ただし、人間観察に於いては、それが、どこでより多く経験できるのか。

おのずとわかるのではないだろうか。

と思うのですが、
件(くだん)の藤沢にある大学の文化部卒業の彼は、
いつまでも地元に残ってそれがわかるだろうか。

帰る家(借家ではなく親が建てた戸建て)があるなら、
私は新しい旅に出てもいいと思ったりします。

 

とここで自作動画のご紹介


きりたんのパソコン 自作PART1

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村