自分に自信を持つ

自信を持つというのは、

セルフイメージを持つという事です。

 

仏教的に言うと、
真言密教の阿字観であります。

 

巷にある自信を持つ方法は
その自己像(セルフイメージ)を作るための原因と枝葉末節を謳ったものです。
例えばマコナリ社長の


自信を持てない人が「今すぐ」やるべき行動TOP3

 

などがそれです。

 

しかしこれは1つの方法論であり、
真髄とはちがいますよね。

 

自信の真髄はセルフイメージであります。
日本語にすると自己像です。

 

この自己像は、その都度コロコロ変わる環境やまた尺度比較によって、
コロコロ変わっていきます。ふつうは。

 

何が言いたいかというと、
人間というものは大脳が発達しているものですから、
実際は世の中のなにもわかっていないにもかかわらず、

人から
「あなたはこれと比べると100倍優れていないわね。グラフにするとこうよ」
と言われると、そのグラフの意味を現場レベル、人生経験レベルでことこまかに
理解していなくても、
ただそのグラフの差を見て比較するだけで、
「自分はレベルの低い人間だ」と思うだろうと思います。

 

何を言いたいかというと、
人間、動物学的に言えばホモサピエンスは大脳が発達しているので、
事実がわからなくても、イメージで自分の像を想像できるわけです。

 

これは、自分の像だけではなく、
例えば「あの中華街でこういったおいしいものがあったんだ」
とか、
「こういうリゾート地にいってこれこれこういった体験をしたよ。楽しかった」
という話を、意識しないでゼロベースで無為自然に聞いた時、
その言葉、文字から想像をすると思います。

文字や言葉から楽しい共体験をするのは小説やライトノベルを読むのもそうですね。

 

 

つまり、自己像というのはこういった大脳による想像力から出来るものかなあと
私は考えていて(解剖学的には違うかもしれないですが)、
その自己像が「自信」であります。

 

そこで、若者の「根拠のない自信」というものはなにかというと、
「置かれている環境」だと思います。

若者に対して「お前はダメな奴だ」という大人はいないと思います。
なぜなら大人は若者の成長を思っているからです。

 

[自信は自己像セルフイメージ]
というと、自信をつける為の方法は多岐に渡ります。

 

何度も述べますが、自信は自己像・セルフイメージです。

 

極論で言えば、絶対値や絶対ではなく、
例えば身近にいるアリや鳥、ゴキブリといった生物も
私は自信があると思っていて、
それらの実態は人間ではなく宇宙想像の神から見たら比較にならないほどの
レベルの低い内容だと思いす。

 

それでも彼らは神と比較してとてもくだらない内容にもかかわらず
自信を持っていると私は思うのです。
(もちろんゴキブリやバッタの脳に厳密に認識力や自我があるのかは解剖学的に私はわからないですし人間と同じレベルであるとは思わないです)

 

 

[自信がなくなる、自己像がレベルが低くなるのは何故か?]

これは比較するからです。

例えば、中学生高校生なんて絶対に世の中の事なんてわからないのに、
例えば言葉や文字、視覚効果によって、
社長なり実業家と自分の父親を比べた時、
絶対にその社長や実業家、有名企業の役職付きを「すごい」と思うだろうと
私は思うのです。

 

確かに、そういった有名企業の部長、社長はすごく努力したんだろうけれども、
彼ら中学生高校生は、文字や言葉による数値比較や視覚比較によって
大脳で想像しているわけです。

 

つまり、実態を理解、把握していなくてもそこでイメージやマインドが出来ます。

これが大脳マジックと言えるかもしないのです。

 

これを考えると、確かに実態は世の中の有名人はすごいしすばらしいんだけれど、
それを見ているおまいらはアニメや小説を見て白昼夢に浸れる大脳の発達した
人間特有の生理現象ですごいと思うんじゃあないか、と思うわけです。

 

以上の事から実際の所は、

「自信に関して事実は関係ない」

という事が言えるのです。

 

[自信のつけ方]

自己像のつけ方は多岐に渡ります。
理由は、自己像を作るのが自信の真髄である為です。
自己像が形成されるならばなんでもいいからです。

極論で言えば
スイッチを押すとイメージが切り替わるのであればスイッチを押せばいいだけだからです。
(レッド○ルを飲むと1秒で元気が出たと思うようなのと同じですね。
 栄養価から言って飲んだ直後に元気になるわけはないと思うのですが。
 舌禍・舌べろから糖を吸収したからか?)

 

ただし何でもいいと述べるととっかかりがないと思いますので、
下記のようにとっかかりを書きます。

 

・自己像(セルフイメージ、今回広義ではセルフマインド)→大脳によるイメージ

・大脳によるイメージ→言語、視覚、比較、広義ではあらゆる体感覚からのフィードバック

・広義にするとさらに上記の広義に格納されるが環境

 

[自信をつける方法]

手っ取り早く自信をつける方法は、
「言葉」によって自信をつける方法です。

人間は猿と違ってFOXP2遺伝子(フォックスピーツーいでんし)を持っています。
小説を読んで文字や言葉からその小説の世界観を想像できるというものが
FOXP2遺伝子の働きであります。

文字だけではなく音声による言葉を理解するのもそうです。

チンパンジーのようなボノボもFOXP2遺伝子を持っているのですが、
口の中にドーム状の口腔がない(口の上あごが平たい)ので彼らは多彩な言葉を話せないですし、高度な文化的ミームを残せないです。

 

サピエンス全史 著 ユヴァル・ノア・ハラリ

 

 

話は逸れましたが、言葉による自己像の形成は手軽に出来ます。
他人を否定しても構いません。
つまり、自分自身を肯定するような言葉を出来れば音声にして言う。

周りに誰かいると恥ずかしいと思うので、一人きりの時に言っても特段問題はないです。

公共の場、世間がある場で公言すれば、それは気持ちいいしあれとかあれなのですが、
「経営者は孤独である」という言葉もあるように、
自分だけしかいない所で言っていても効果はあります。

 

ひとむかし前に、
「自分の殻に閉じこもるのは悪いことだ」という風潮がありましたが、
公共性とか世間というものはマイノリティはその場その場で変わってきますから、
つまり絶対値は特段考えなくても、自分がどう思うかなり
自分の生きているそのポジションからどう思うのが正論なのかというのが
この言葉による自己像形成の肝です。

そこに妄想上のわかりもしないすごいレベルの人を
把握していないにもかかわらず勝手にすごいものなんだと想像して
比較することはないと私は思うのです。
[追記 2020/05/08
 妄想上…のとは述べましたが、ただし周囲の人間関係があまりよくない場合、
 過去の偉人や大学の偉い人、ビジネスマンの本を読むと知的になった気になります。
 特に文語体が「~である。」と書かれている本を読みすぎると自分も~であると
 使うようになるかもしれません。
 もし周囲の環境がよくないのであればこういったものも悪くはないと思います。
 ただしこれも良い面と害になる部分があるので必ずしもいいとは言えませんが、
 環境が悪ければ応急処置として利用できると思います。]

[あえて釘をさすなら]

ここまで述べたのは、日本密教の阿字観であります。

梵字の阿を見ながら「観世音菩薩になりきって」いるのが阿字観です。

残念ながら観世音菩薩になりきっても、
料理がうまくなるわけではありませんし、
木工がうまくなるわけではないです。

 

ただしそこに対してもあえて釘をさすのであれば、
絶対値というものはその絶対値を得たものでなければわからないので、
世の中はおおよそ相対値で動いています。

しかもその相対値が更に絶対値ではない相対的観点でありまして、
普段生活している中では、絶対値ではない相対値でも特段問題ないことが多々あります。

つまり、想念転換しても問題ないと思うんです。

 

私自身は普段どうかというと、
自信というのはあまり意味がないかなあと思っています。

営業にはもちろん自信は必要であります。

商品をお勧めするときに内面で不信感があるのは表に出るのかなあと思うからです。

 

[結論]

・自信は自己像

・大脳によるイメージは言語や身を置く環境フィードバック

・極論では大脳に直接電気信号を流してイメージすればいいのではないか

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村